2008年09月09日
モラヴィアのブログサイト
9世紀から10世紀にかけてスラヴ系民族が大モラヴィア王国を築く。東フランク王国と対立を繰り返しつつ、ビザンティン帝国から正教会と文化を受け入れた。「スラヴの使徒」キュリロスとメトディオスが布教を行ったのも、このモラヴィア王国である。
しかし王国内部からの分裂によって、東フランク王国に屈服を許し、カトリックを受け入れることとなった。その後、モラヴィア王国は内部分裂し、弱体化した。10世紀に入ると東欧から侵入したマジャル人に征服され、王国は滅亡する。それ以降、マジャル人の建国したハンガリー王国に従属し、さらにハンガリーの王冠がオーストリアのハプスブルク家に渡るとその支配下に置かれた。この従属は20世紀まで続く。この過程でモラヴィアのスラヴ人は、ボヘミア人(チェック人)とほぼ同化され、チェコと同一化された。オーストリアとハンガリーに支配されたモラヴィアは、千年の桎梏と呼ばれるくびきを経て、1918年にチェコスロヴァキアとして、独立を果たした。共産化、冷戦を経て、1992年にチェコとスロヴァキアに分離すると、モラヴィアはチェコの一部として留まることとなった。
文化
ハンガリー文化の影響を受けており、特にワラキア(Valašsko, Wallachei, Valachia - 「モラヴィアのワラキア」とも)地方はハンガリー的な音楽で有名である。またモラヴィア独特の方言もこの地方の音楽に影響を与えている。これらの独特の要素はレオシュ・ヤナーチェクらによって研究されている。
- Permalink
- by
- at 10:08
- Trackbacks (0)